江戸文字「ビラ字」

 

江戸〜昭和初期までの間、先祖(ビラ清、ビラ辰)は、寄席ビラ(寄席に客を集めるための広告)を製作する職人でした。


客が大入になるよう、空席がなくなるよう縁起をかつぎ、字を詰まり気味に配し、隙間を最小限にし右肩上がりに書かれているのが特徴です。

 

私の高祖父の父 初代ビラ清(屋号)は、安政(1854~1860)のはじめ、浮世絵と同じ版木による寄席ビラを初めて作った人です。
その後、長男の二代目ビラ清と次男で私の高祖父 初代ビラ辰の両家が継ぎ、東京市中の寄席ビラ作りの主力となります。
この頃、ビラが芸人の誇りと見識を現すものという色合いが濃くなり浮世絵顔負けの豪華な絵ビラも登場します。
曽祖父も二代目ビラ辰を継ぎ、噺家が真打昇進が決まると名入りの美しいビラを作ってもらう為に、必ずビラ辰に挨拶に行くほどの権威を有していたとか。

しかし関東大震災により版木など仕事道具が焼失し、時代は戦争へ向かい、江戸時代に発生し明治期に確立した正統ビラ字は全滅しかけます。

幸運にも、噺家 橘右近氏(1903~1995)が、前座時代にお使いで二代目ビラ辰のところへ度々行った際に筆使いを学び、八代目桂文楽師匠の勧めで昭和40年に噺家をやめ「寄席文字」を再び興し「橘流寄席文字 」の家元となります。
橘右近氏のおかげで「寄席文字」は消えずに続いています。

現在は、お弟子さん、孫弟子さん達が活躍されています。

 

そんな震災や戦争の時代でしたから、子孫は仕事を継ぎませんでしたが、私なりのやり方で日本の魅力ある江戸文字の1つ「寄席字」と繋がっていけたらと言う思いからこのシリーズの製作を始めました。

少しずつ増やしていこうと思っております。

曽祖父ビラ辰の時代は旧漢字でしたので「宝」→「寶」「寿」→「壽」

と画数が多く、柔らかなワックスでの形成が難しいため

帯留の銀細工の文字は、橘右近さんの橘流寄席文字辞典を元にワックスで形成し、シルバーで鋳造した原型で帯留を製作しております。

T.O.D 岡部由美